酒と作家たち 小堀杏奴

小堀杏奴(1909−1998)
森鴎外の次女(長男 森於菟 、長女 森茉莉 、弟 森類
父も兄も夫(小堀 四郎 画家)もあまり酒をたしなまない環境で育つ。
酒に関して
 悪い酒を義理の兄(山田珠樹 仏文学者)より
 いい酒を日夏 耿之介(英文学者)と辰野隆(仏文学者)より
学ぶ。

酒と作家たち 田辺茂一

田辺 茂一(1905−1981)
新宿 紀伊國屋書店の創業者にして酒飲みで女好き
父の酒好き、祖父の女好きの両方をもらったか?
「夜の市長」
酒癖:声大きく、騒がしい
   口三味線多々
   スピーチをやたらやじる
「いまきたよ、安吾太宰と花見酒」

酒と作家たち 吉田健一

吉田 健一(1912−1977)
父があの吉田茂
よほど酒好きのようで、酒関係の著作に
「随筆 酒に呑まれた顔」、「酒宴」、「酒肴 酒」など

酒の起源は、暇潰し
著作にも「ひまつぶし」

菜の花の沖から知る雑学2

菜の花の沖(2)」(文春文庫)より知る雑学。
■金毘羅さん
 サンスクリット語で「クンビーラ」は、鰐の意味。
 船乗り(漁師・海賊)は、山を見て自分の位置の目印とした。
瀬戸内 塩飽諸島の漁師 塩飽衆の船は讃岐の金毘羅さんの祭られている山を目印としている。
船に金毘羅大権現を祭るようになり、それにならいほかの地域の漁師も金毘羅大権現を海の神様と祈るようになった。

■神無月
 毎年10月。諸国の神様が出雲に集まる。
よって出雲では、10月を「神在月」と呼ぶ。
神々は、10月25日に諸国に帰るので、この日を「神去日」(かんさらび)と呼ぶ。

「菜の花の沖」より知る雑学

この年になって初めて、司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読み始めた。文庫本で全6冊だがまだ1巻目。内容は淡路島の漁村に生まれた青年(高田屋嘉兵衛)が海の商人として立身出世する話であるが、1巻の中に初めて知った面白い雑学を知ったので記す。
日和見日和山から天気を見る(予測する)こと。日和山は全国各地にあり、主に漁師が船を出す前に可否の天候判断を行った。
■村八部:地域の共同生活の10行為のうち、葬儀と火事の2行為以外は絶縁する。
南海道紀州、淡路、四国)のことばがきたない:上国のように武士階級など上層部の階層がない、南方的無階級意識が強かった。
■苗字:
各家の違いは、平安中期までは「氏」だけであった。
中期以降、姓が生まれ「源」「平」「藤原」「橘」の4姓が本流となる。
以降、分家が増え、所在地などから「一条」「近衛」「九条」などの分流が、
更に細分化され、役職や地域などから、例えば「藤原」では
      加賀介→加藤、伊勢の国→伊藤
■くだり物と「くだらない」:江戸時代江戸の人口は急激に増えたが関東にはいい商品が不足。
 くだり物:上方や瀬戸内の商品や貴重品を江戸へ輸送
 くだらない物:逆に江戸近辺の商品の品質が悪かった。
樽廻船:1730年に上方から江戸へ酒樽を運ぶための専用船と航路が生まれる。
 平安・鎌倉時代は容器は曲げ物(一例 柄杓)技術しかなかったが、長方形の木片をつなぎ合わせる「桶」技術が生まれた。さらにそれに蓋をする「樽」が生まれ、酒の大量輸送が可能になる。これは日本独自の文化・技術。
■日本酒:現在では関西の日本酒産地として「灘」が有名であるが、実は摂津(池田、伊丹近辺)で清酒が発明された。従来は「どぶろく」であったが、伊丹の鴻池新六どぶろくに灰汁を加えると酒が澄むことを発見。以後鴻池財閥を築いた。